パナリ焼壺残欠
¥65,000(税込・送料込)
18世紀 沖縄 26センチ×21センチ
老いたる人聞はみじめなもの。棒切れにかかったぼろぼろの上着にすぎない。もし魂が手をたたいて歌い、 肉体の衣が綻びる度に、さらに声高く歌わないとすれば 。
「Sailing to Byzantium」W. B. イェイツ
18世紀は沖縄、パナリ焼の残欠です。パナリ焼とは今から200年前、江戸時代の中期から後期にかけて、沖縄県の八重山諸島で焼成された素焼きの土器です。当時、パナリ焼きは島内の日常生活の為の雑器として使われていました。赤い粘土を探してきて木の粘液とカタツムリの汁を捏ね合わせ、表面を箆と指で丹念に滑らかに整え、枯れ草や枯れ枝を上に置いて野焼きで作られました。近隣の島で農産物と交換したり、琉球王朝に税金として収めたこともあったようです。
本品は打ち壊れて捨てられ、百年以上野ざらしになっていたのでしょう。沖縄の強い日差しや雨風に洗われて、本来なら平滑な表面も荒々しく崩れかけています。もはや用の美さえ失われても尚、イェイツが歌い上げたような原始的で素朴な力強さは今でも十二分に伝わって来るようです。
「Sailing to Byzantium」W. B. イェイツ
18世紀は沖縄、パナリ焼の残欠です。パナリ焼とは今から200年前、江戸時代の中期から後期にかけて、沖縄県の八重山諸島で焼成された素焼きの土器です。当時、パナリ焼きは島内の日常生活の為の雑器として使われていました。赤い粘土を探してきて木の粘液とカタツムリの汁を捏ね合わせ、表面を箆と指で丹念に滑らかに整え、枯れ草や枯れ枝を上に置いて野焼きで作られました。近隣の島で農産物と交換したり、琉球王朝に税金として収めたこともあったようです。
本品は打ち壊れて捨てられ、百年以上野ざらしになっていたのでしょう。沖縄の強い日差しや雨風に洗われて、本来なら平滑な表面も荒々しく崩れかけています。もはや用の美さえ失われても尚、イェイツが歌い上げたような原始的で素朴な力強さは今でも十二分に伝わって来るようです。