近代茶人肉筆和歌写真帖「千載帖」和敬会 安田善次郎他

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膏肓社

明治33年 紙本肉筆 
後に益田鈍翁や馬越恭平も参加する近代茶人の会「和敬会」の規約と、当時十六羅漢と呼ばれた創設メンバー(旧大名や旗本、実業家)による直筆和歌、肖像写真を収める。写真は玉翠館の気賀秋畝撮影。経年によるヤケや汚れ、わずかな虫損数か所などありますが鑑賞には問題ありません。


羅漢さんたち
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最初のメンバーは、旧大名華族が松浦詮(まつら あきら)、久松勝成(かつしげ)、東胤城(とう たねき)の3人、公家出身華族が東久世通禧1人、海軍関係の華族が伊東祐麿(すけまろ)、伊藤雋吉(しゅんきち)の2人、軍医関係が石黒忠悳(ただのり)、戸塚文海(ぶんかい)の2人、財閥関係が安田善次郎、三井高弘、岡崎惟素(これもと 三菱系)の3人、江戸の商人出身財界人が金沢三右衛門、岩見鑑造、青地幾次郎の3人、松浦詮の弟子が松浦恒(ひさし 松浦家分家)、三田葆光(やすみつ 漢学者)の2人という構成でした。流儀で見ると、鎮信流、遠州流、宗徧流、織部流、表千家、江戸千家、裏千家があり、流儀の不明な人も6人ほど居て、流儀は全く関係なかったことが明らかです。会長などはなく、ただ茶道家元で練達な松浦詮こと心月が、リーダー格で、安田、石黒の2人が世話役格だったと伝えます。死亡者が出ると補充をしたわけですが、誰の代わりに誰が入ったのかは、調査している学者もおられるかもしれませんが、私にはわかる資料がありません。とにかく代わったメンバーは、三井・三菱の財閥系が多く、益田孝、馬越恭平、高橋義雄、三井高保、加藤正義、瓜生震の6人、以外の財界人が吉田丹左衛門、竹内専之助の2人、松浦詮の後継子息の厚の、以上9人です。数寄者の茶の湯の最盛期を担った人たちと言えます。


和敬会 十六羅漢 追懐茶会
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